卒論に求めるもの

正式には卒業論文というものはなく,うちの学部では卒業プロダクトと呼ばれていますので,必ずしも論文でなくてもよいことになっています。ただ,私のゼミでは論文を書いてもらいます。

内容は第二言語習得や文処理・語彙処理,言語と認知などに関わるものであれば,基本的にはトピックは学生の関心のあるところからスタートしてもらって構いません。

実証研究(何らかのデータを集めて,それを統計的に分析するような研究ととりあえずはざっくり理解してもらって良いです)である必要はとくにありません。レビュー論文でも良いです。レビュー論文というのは,ある特定の領域の論文を読んで,そこから何らかの知見を導き出すものです。概念の整理や,手法の偏りを指摘するなど,いろいろな可能性があると思います。ちなみに,システマティック・レビューのようなものは分野のエキスパートでないと私はできないしすべきでないと思っていますので,学部生にそういうことを求めたりはしませんし,もしやりたいという人がいたらそれはもっと経験を積んでからやってくださいと言うと思います。

そもそも,データを取るというのは実験参加者に対して労力を強いるものです。もしデータを取って分析して…ということをやろうと思うのであれば,少なくともどこかで発表するくらいの意気込みを持ってほしいなと思います。そうでなければ,実験に参加してくれた人はただただ学生の学位取得のために善意で協力した,ということになります。本来,研究に参加してもらうということは,その研究の成果が何らかの形で公の財産になるという前提があります。というか研究ってそういうことですよね。

これ寺沢さんがよく言っていることなのですが。

参考:卒論・修論のオープン発表会の意義 – こにしき(言葉・日本社会・教育)

レビュー論文というと難しく聞こえるかもしれませんが,例えばある特定の領域で行われている実験手法のまとめや結果をまとめることも,見方によっては意義のあるレビューだと言えると思います。こっちの論文ではこういう用語で定義されていることが,実はこっちの論文では別の定義をされていて,でも実際にそれってこういうことだよね?とか。そういうのも立派なレビュー論文です。もちろん,良いレビュー論文を書くにはそれなりの知識も求められるわけですが,外部に発表するような公共性はないけど自分の勉強の成果をまとめたいとかいうのなら全然それがゴールのプロダクトになっていていいのかなと私個人的には思っています。

もし実験研究をやりたいのであれば,何か自分が面白いと思う研究を1つ見つけて,それの追試をやると良いと思います。正直,1年半という短い期間で自分の研究テーマを見つけて,それなりの質の研究を論文としてまとめるのはそう容易いことではないと私は思うからです。修士課程の学生であってもそれが難しい場合もありますから,学部生にはそれは酷かなと。

こう書くと,なんだ田村は学問をやるとか言って,でも卒業論文はそれでいいのかってそういうことを思う人もいるかもしれないですが,別にそういうわけではありません。データを集めて分析してみたいなプロセスを経験することも意義はあります。ただ,研究というのはそれだけではないということを言っているのみです。さらに,どちらが「良い研究か」ということもありませんし,どちらが「楽(らく)」ということもないと思います。

過去の卒業プロダクトのテーマ

数は少ないですが,私のゼミに入った学生がどのようなテーマで卒業プロダクトを書いたのかをここに記しておこうと思います。このテーマだったら良いとか,自分の興味関心があまり近いところになかったらゼミに入っても学びがないとかそういうことはまったくありません。むしろテーマはそれぞれの学生で狭まっていて然るべきだとすら思っています。似たようなことをやろうとする必要も特にありません。あくまで参考情報としてお読みください。

2023年度:日本語と英語における移動表現の比較研究

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